〔1992年3月〕
今、私は、病院の待合室にいます。
病院の前に車が止まり、若いお嫁さんが、 八十過ぎのおばあさんを抱えて入って来ました。
「おばあちゃん、 階段がありますから、気をつけてね」 「どこに座りますか。 背もたれのあるここがいいかしら」
おばあさんは、一言もしゃべりませんが、優しいお嫁さんの言葉に、嬉しそうに頷きました。
「おばあちゃん、ひろ君を車から呼んできますから、ちょっと待っててね」
優しい笑顔、優しい言葉、自然な気配りを見せてもらい、心が温かくなりました。家族全員が、いつもおばあさんを中心に、 優しく接しているのだろうと想像しました。
おばあさんの番が来ました。
「おばあちゃん、すぐ済みますからね。 行きましょうか」と、そっと肩を抱いて診察室へ入って行かれました。
私にも祖父母が元気でおりますが、偶に風邪にかかる時もあります。 心配ですから、病院へ連れて行きます。
ここまでは、このお嫁さんと同じかもしれません。 車の中で、 「年なんやから、風邪をひかんように気をつけんと。 それから、風邪をひいたら、すぐ診察してもらわんと、治りが遅いのやから」と、心配の余り出る言葉ですが、祖父母の「気をつけなあかんと分かっているんやけどなあ。すまんことやなあ。 忙しいのに行ってもうて」との言葉に、言わなかったら、よかったのにと、いつもながら反省するのです。
そのお嫁さんが、とても輝いてみえたのは、真の思いやりがあったからです。
「階段があるから、気をつけて」の一言も、怖い顔で「気をつけてな。 年寄りが転けたら、私達が大変やから」という意味で言う人もいます。
どんな時も笑顔で接してあげる。
こちらから声をかけてあげる。
このことは、誰に接する時も大切なことでありますが、 特にお年寄りには、この上ない喜びになります。
『年寄りを大切にせよ。人間は自分の考えで先生まれてきたのではない。みな、 神のおかげで生まれてきたので、早く生まれた者ほど世のために働きをたくさんしておる道理であるから、年寄りを歌うのぞ。 若い者でも役に立つ人はなんとなく人が歌うようになるが、不都合、不行き届きが重なれば、歌うてくれぬようになる。 信心する者は、よう心がけておるがよい』
理解 金光教祖御理解80
立派な母親の姿を見ていますから、 子どもも、とってもおばあさんに優しいでした。