〔1997年7月〕
皆様は、『わらしべ長者』という昔話をご存知であろうか。
細部は異なるかもしれないが、次のような話である。
昔々の話。働いても働いても貧乏な農夫がいた。
ある夜、 神様に「どうか暮らしが楽になるように」 とお祈りする。
翌日、カラスが1本のわらしべをくわえてきた。
「何だ、お願いしたのに、たった1本のわらしべだけか。鼻くそもほじれへんわ」
暫くすると、子どもの頃、わらしべで笛を作ったことを思い出す。
「何と懐かしいことか。いい音がする」
なんだかあったかい気持ちになる。
そこに子どもが来て、持っていたみかんとわらしべの笛を交換する。
「たった一個のみかんか。これでは腹の足しにもならん」
暫くすると、子どもの頃、みかんを取って一つのみかんを大切に持って帰ったことを思い出す。
「みかんって懐かしいなぁ」
またあったかい気持ちになる。
そこへ喉が渇いた老女がやってきて、持っていた布切れとみかんを交換する。
「こんな布切れ、何の役にも立たん」
暫くして、赤ちゃんの泣き声を聞き、布切れからおしめを思いだし、母親を懐かしく思う。
また、あったかい気持ちになる。
そこへ動かない馬を引き摺った男が来て、馬と布切れを交換する。
動かなかった馬は、農夫の言うことを聞いて走り出す。
「これで、町へ行きお金を儲けるぞ」
そこへ若い娘がやってくる。
「病気の母のために薬を急いで持って行かなければいけないので、馬を貸して下さい。 お金はありますが、今は持っていません」
農夫はかわいそうに思い、馬を娘に貸す。
が、 引き換えに貰う物はない。
何日か過ぎたある日、カラスが娘からの手紙を持って来る。
そこには、「馬のお礼がしたい」と書いてあった。
娘の家は、金持ちで、農夫は娘の婿になり、わらしべ長者となった。
『おかげを受けられるか受けられないかは、わが心にある。わが心さえ改めれば、いくらでもおかげは受けられる』
(理解Ⅲ青山金右衛門の伝え3)