〔1997年8月〕
一つの物事でも、見方や受け止め方によって大きく変わってくる。
平成5年は、冷夏で雨が多く、稲の作況指数が平均より下回った。
どのニュースを見ても、アナウンサーの稲の作柄についての問いに、「あきません。冷夏と大雨で、米の粒は小さいし、困ったことです」と、農家の人は口を揃えて答えていた。
ところが、一人だけ予想外の言葉を返した人がいた。
「こんな気象状況の中で、 よくこれだけの米ができたと感謝しています」 と。
収穫を楽しみに、今までお世話されてきた人は、本当に困惑されたであろう。けれども、同じ状況にあっても、このような見方もできるのだと、強く印象に残った。
子どもの水泳を例にとってみよう。
クロールを前回10メートル、今回11メートル泳いだならば、どのような言葉掛けをするだろう。
「何や11メートルか。 この前と変わらんな」と言うか、「11メートルも泳げたのか」では、これからの子どものやる気も随分違ってくる。
子どもが4才の時、アイスが欲しいと言うので、食べ残してあったカップのアイスを「ちょっとしかないよ」と渡した。
すると、「わぁー、こんなにある」と喜んで食べたのだ。
三代金光様のみ教えに、『ありがたい、ありがたいと言う人には、ありがたいことばかり起こってまいります』とある。
私が前号で『わらしべ長者』 の昔話を載せることになったいきさつがある。
2才の子どもがいるので、テレビは欠かすことはできない。
と言っても、真剣に見ている時間は少ないのだが、見ていないからとスイッチを切ると怒る。
テレビの音が鳴っていないと駄目のようだ。
それで、午前中はずっと教育テレビがかかっている。 ほとんど私も掃除をしたり、子どもと遊んだりして、テレビの音は聞き流しているのだが、「わらしべ長者』は、15分間、 二度最後まで見ることとなった。
きっと神様が見せて下さったと思う。