〔1999年1月〕
行きつけの床屋での話。
「この前、 日記帳の整理をしていたら、私が初めて仲人さんといっしょにこの家に来た日の日記が出てきて、そこには、お母さんともう今は亡くなっていないけど寝たきりのおばあちゃんが、私に『この子を大事にさせてもらおうな』と言ってくれて、三人が涙したと書いてあった。そんなこと、すっかり忘れていたけど、思い出すと、また涙が出てきて、すぐお母さんに話をしたら、またお母さんも泣いてね」
私は、顔剃りをしてもらいながら、 あったかい気持ちになった。
「あんたまで泣くことないやん。変な人やな」
私は、嫁いだ日のことを思い出していた。
1月に結婚して、新婚旅行から帰ると、すぐ寝られるように、温かい風呂が用意され、部屋を暖めてくれてあった。 その温かさが、自分をとても大切にしてくれているようで、とても嬉しかった。
子供の参観に行った話。
なかよし集会というミニ文化祭をしていて、子どももお店を出していた。
開会式のあった体育館を出ていこうとした時、 「お母さん」と呼ぶ声がした。
「僕が教室にいるのは、 11時30分から15分間やからな。 昨日、時間を間違えて言ってしまったから」
「分かった。 でもよかったの、今ここに来て」
「先生に言ったから」 と言いながら体育館に戻って行った。
その姿からは、伝えられてよかったというほっとした感じが伝わってきた。 学校で親と出会っても、照れくさいからか知らんふりする子どももいる。
学校に来ていても、子どもが何をしているか、どこにいるのか知らない親もいる。 小さいことだけれども、とても嬉しかっ
た。
3才の子どもが言う。
「お父さんって、 運転上手やな」
「お母さんって、いつも美味しいご馳走を作ってくれるな」
「お兄ちゃん、 よう練習するな。 上手、 素晴らしい」
このように言われると、嬉しいし、頑張ってよかった。また頑張ろうと思う。
子どもは、誰も言ってくれないので、 「僕って、ようお話して偉いなぁ」 と自分を褒めている。
おじいちゃん、おばあちゃんが来ると、必ず言う。 「来てくれて、 あー嬉しかった」
兄くらいの年齢になると、同じように思っていても、なかなか口にしない。
それでも、おじいちゃんが風邪だと聞くと、「もう治ったかな。 心配やな」 と言ってくる。
「電話してあげると、喜ぶよ」
「ありがとう」 「お疲れさま」 「お願いします」 「すみません」 「大丈夫」 思っているだけでなく、言葉に出せると素晴らしい。
昨年は、ナイフ事件・薬物混入事件など不安に思う日々が多かった。
今年は、「ありがとう」「お疲れさま」「お願いします」「すみません」「大丈夫」をたくさん言葉に出して、相手を思い合って、 あったかい毎日にしたいと願うのである。
『家内中親切にし、信心をすれば、心がそろうようになり、みなおかげを受けられるのである。親子でも、心が一つにならねばおかげにならぬ』
(理解Ⅲ御理解拾遺18)