腹八分目

〔1992年10月〕

敬老の日、家族7人で食事に出掛けました。

岩風呂に入り、祖母や母と背中を流し合い、ゆっくりと汗を流した後の食事でしたので、おいしく頂き、 自分はきれいに平らげました。

その時、「ああ、おいしかった。 もう満足」という気持ちになりました。

しかし、テーブルには、まだ幾皿も残っています。

「タッパーを忘れてきたし、もったいないな。外食だと普段よりたくさん頂けるし、食べられる時にしっかり頂こう」と思いながら、次々と頂きました。

皆は、お箸を置きくつろいでいます。 が、 私は食べてしまわないとお金ももったいないしと食べ続けました。もうこれ以上は無理というまで頂きました。

家族皆が、久しぶりにゆっくりできたと喜んで帰宅した途端、下腹部が痛くなり、 トイレに駆け込みました。

嘔吐、下痢。 「金光様、 金光様」とひたすら呼び続けました。

暫くして「申し訳ありません。 せっかく頂いた物を全部出してしまいました。 ご無礼なことをしてしまいました。もう、満足とお知らせ下さった時、お箸を置かせて頂けばよかったのに欲が出てしまいました」と、気付かせて頂きました。

皆も喜んで帰ってくれたのに、私がこの様なあり様で、 結局、 迷惑や心配をかけてしまいました。

その夜は、胃が重苦しく、一睡も出来ませんでした。

翌日、教会でお詫びを申すと「もったいないと思って頂いて、そのような結果になったのでは、却って神様にご無礼になる。 食物を粗末にしただけでなく、体も傷つけたことになる。食べられず残させてもらう時は、 神様にお詫びをさせてもらうようにすればよろしい」と、教えて下さいました。

『好きな物を十分食べますと、こぼれます。それで腹八分目という例えもあります。茶わん八分目、水を入れて持ってみなされ。少し走ってもこぼれはしますまい。まあ、そういう物の道理じゃ。人間が食い飲みする時に、このくらいでよろしいと思う時が、天地の親神のご分霊が分限を定められる時である。体に相当するのである。それを、もう一杯、また一杯と、我食い、我飲みして病気になる人もあるが、これは神様に対しご無礼ではないか。また、食い過ぎ飲み過ぎして嘔吐をする者もあるが、これも悪い考えである。信心する人は、神様の守りを心にかけており、万事不都合のないようにするのが信心である。食い飲みをむたいに強いるのが親切ではない。国のため、人の身のため、わが身の上も思い万物を粗末にせんような、真の信心するがよろしい』

(理解Ⅰ山本定次郎の伝え66)

それ以来、腹八分目の意味をよく考え、神様が喜ばれる頂き方をするように心掛けています。

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