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小さな布教者1
〔1994年1月〕 子どもが2才半になり、「取次唱詞」を覚えた頃、どこへ行っても真顔でお祈りをした。 ある日、病院の待合室で、患者さん(子どもにとってはお客さん)の方を向いてお祈りを始めた。 皆さんは何をするということもなく座って待っている方が... -
あいかけよで願い合い頼み合い
〔1993年8月〕 子どもは、転んだり机に頭をぶつけたりした時、必ず私の所へ来てある言葉を催促した。 「痛いの痛いの飛んでいけ」ではない。 ある言葉とは「金光様金光様、 治して下さい」 この言葉を聞くと、安心して私から離れ、また遊び出すのだった。 ... -
人間 我よしの心が多すぎて
〔1993年6月〕 私が小学校に勤めている時、先生をお迎えして夏期研修があり、次のようなことを話されました。 「自分の考えは、はっきり持っていなければいけませんが、『○○だ』という断定ではなくて「○○だと思いますが、どう思われますか』という気持が必... -
雪の日の参拝
〔1993年3月〕 「ママ、見て。雪」 2月2日、明け方から降り出した雪で、あたり一面真っ白である。 「今日は、電車でお参りしようか。駅まで歩けるかな」 「嬉しい。 判こ押してもらうわ。 長靴はいて行く」 子どもは、快晴の日でも長靴を履くのだが、 私... -
腹八分目
〔1992年10月〕 敬老の日、家族7人で食事に出掛けました。 岩風呂に入り、祖母や母と背中を流し合い、ゆっくりと汗を流した後の食事でしたので、おいしく頂き、 自分はきれいに平らげました。 その時、「ああ、おいしかった。 もう満足」という気持ちにな... -
きょうかい、すき
〔1992年6月〕 2歳になる息子は、教会が大好きである。 電車のおもちゃや積み木があるからなのだが、それにもまして、 「先生」が好きなのだ。 朝食が済むと、電車のおもちゃを持って、 「せんせい」 と言って、教会へ行こうとせがむのである。 この「せ... -
無条件の思いやり
〔1992年3月〕 今、私は、病院の待合室にいます。 病院の前に車が止まり、若いお嫁さんが、 八十過ぎのおばあさんを抱えて入って来ました。 「おばあちゃん、 階段がありますから、気をつけてね」 「どこに座りますか。 背もたれのあるここがいいかしら」 ... -
信心の芽生え
〔1992年1月〕 1歳半の子どもは、 ご祈念を始めますと、必ず私の側に来ます。 ある日、「いっしょに、お祈りしようか」と、声をかけましたが、台所へ行ってしまいました。 後を追いますと、流し台の上の棚に向かい、お祈りをしています。 この棚には、お...
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